ニッ記

なかったことを日記に書いています

時計の話


完全に寒いな、もう秋になったな
とある日に思ったというのに
未だに普通に暑かったりして
油断ならない日々が続いている

確実に日は短くなってきていて
窓の外の明度と時計の針がズレているような感覚になる
と思いきや、この時計は本当にズレているな
そもそも僕の部屋には何故か時計が五つもあるな

どれが、何だったろうか
増やそうとして増やしたわけではなかったのだが

時間がズレてるやつは父方の祖母からもらったやつだ
小さな頃、祖母の家に行った時
妙に足のでかいクマのぬいぐるみの横に置いてあった

僕はそのクマのことを「足のおじいちゃん」と呼んでいた
顔が祖父に似ていると思っていたのだけれど
多分そんなことはなかったし
同じく「ひげのおじいちゃん」というクマと
「おじいちゃん」というクマもいた

祖父はもう死んでしまっていたし
祖母にも長い間会っていない

あの頃から今までの時間を埋めるみたいに
時計の針はもりもりと進んでいる
僕は昔からこの音を聞くとよく眠れるもので
この時計を祖母からもらったのだった

ミケンの話


ミステリー研究部は部員が定員を下回ったため、
ミステリー愛好会へと姿を変えた

「略して"スカイ"だな、爽やかに行こう」
なんて彼女なら笑っただろうか

僕はといえば、
太陽が真上を過ぎたくらいにやっと布団から抜け出すことができた
居間に用意されていたおにぎりと素麺を食べただけなのに、
何だか疲れてしまって
今日はもう家から出ないことにする
今日も、か

彼女が亡くなって一週間が経った
高校生である僕は本来この時間には学校にいなければならないのだけれど、
その日から一度も何処かへ出かけることはしなかった
悲しみや寂しさからそうしているのかと言えば、それは違う
そもそも僕は彼女に会う以外のためにこの部屋を出ることはしなかったし、
今は彼女の愛した本を読むことよりも先にするべきことなんて
何一つ見つからなかった

自称シャーロキアンであった彼女の蔵書たちが、僕の部屋を埋め尽くしている
全てを読み終えるまでにあとどれくらいの日数がかかるだろう
出来る限り、本を読むこと以外を考えないでおこう
そして眠くなれば眠ろう
「不眠は働くよりも遊ぶよりも人の神経を悩ますものだ」
と彼女はよく言っていた
それがホームズのセリフだと知ったのは
彼女がもう居なくなってからだったけれど
今更だとしても、彼女を構成しているものに触れられることは嬉しかった

それが終われば、本を返しに行こう
線香のひとつでもあげて、部活の話でもしよう
いや、今はもう愛好会となってしまったけれど

「略して"テアカ"だな、皮肉が効いている」
なんて彼女なら笑っただろうか
僕はスカイの方が好きだな

カルラの話


楽器というものは本当に困ったもので、
一日中練習して、一日分上達するが
一日練習を怠れば、三日分は下手になる
……という話は、さすがに言い過ぎだと思うが
それくらいの気持ちで努力しなければならないということだ
そして、上手くなれば全て解決するという話でもない

そもそも僕がこの大学に入れたのも奇跡のようなもので、
いや、というより
カルラ奏者というのは慢性的に人員不足なのだろう
声楽科やピアノ専攻の受験生は溢れかえるほどいたのに、
カルラ専攻は数えるほどしかいなかったことを覚えている
そして、音が鳴った人間は全員合格した

鍵盤を弾くというところはピアノと同じなのに、
そもそも音を鳴らすことの出来る人間が限られている
そしてそれは努力や成長でどうにか出来るものではなく、
あくまでも先天的に「弾ける」か「弾けないか」が決まっている
……なので、「弾ける」人間というのはそれだけで需要があるのだ

世界で一番難しい楽器だと云われる所以はそれだけじゃない
例えば、雨が降っているだけで
例えば、睡眠時間がいつもより短いだけで
例えば、朝食を沢山食べただけで
例えば、テレビで殺人事件のニュースを見ただけで
カルラというものは、その音色を変えてしまう

難しいし、辛いし、もどかしいし、悲しい

それでも、音楽は楽しかった
音の波に揺られているときは、
あらゆるものを忘れられる
あらゆるものを任せられる
どこが悪いとか、どこがズレてるとか、そういったことも勿論必要だ
けれど、自分から生まれたものを好きだと思えて
そういうものを好きなように弾いていられるというのを、
幸せと言わずして何と言おうか

なんて、ぐるぐると考えてしまうものだから
僕のカルラの音色もぐるぐると変わってしまう
それが僕の演奏だ、と
胸を張れるくらいには努力を重ねなければいけない

愛するものを愛し続けるためにだ
やるしかない

バイトの話


幼い頃から「ひとつのことを長く続ける」ということが出来てこなかった僕は
ひとつとして人に自慢できる特技や趣味は無かった

自分よりもはるか歳下になってしまった高校球児を見て、
尊敬とも羨望ともつかない妙な感情を抱いてしまう

だけれども
ただひとつ、学生時代から変わらず続けていることがあった
バイトだ
僕はもう八年も同じバイトを続けている
音楽を聴きながら不発弾を見るバイトだ

快挙だ、奇跡だ
逆に言えば、高校生がこぞってやりたがるようなバイトを
未だに続けているのだけれど

誰にだって出来るような仕事
僕にだって出来るような仕事だ
底辺バイトと言われているのをよく見かける
けれど、僕にとってはたったひとつの誇りなのだ

今日も音楽を聴きながら不発弾を見るのだ
社員にもなれず、後輩には見下され
それでも僕は音楽を聴きながら不発弾を見るのだ

海と頭の話

砂浜で頭を拾った
長い髪は潮で焼けてしまっているが、きっと綺麗な黒髪だったのだろう
そして人の頭とはなかなかに重いものなのだな

海に来たのには特に理由はなかった
別に何を忘れたわけでもなく、
別に何を失くしたわけでもない
ただ疲れただけで、
ただ呆れただけだった
そういうとき、僕はいつも海にいた

住んでいた家から歩いて数分、
幼い頃から遊び場にしてきた砂浜
僕はいつもスニーカーで歩くものだから、靴の中は砂で溢れてしまう

お盆だからと帰ってきたは良いものの
働き者の母は家には居ないし、
誰もいない実家で暇を貰うにも限界がある
夜には久し振りに母の手料理が食べられるし
それを楽しみにしつつ、海を眺めて惚けていようと思ったのだ

思ったのだが、

砂浜で頭を拾った
長い髪は潮で焼けてしまっているが、きっと綺麗な黒髪だったのだろう
そして人の頭とはなかなかに重いものなのだな

言語の話

ふと疑問に思った
疑問、というよりは、違和感か

「お湯」にあたる英語が存在しないのだ
Google先生には「hot water」だと言われた
熱い水、となる
日本人は、温度が変わることによって「水」は「お湯」という
別の物質になると区別している
英語ではそこに区別はなく、
ただ温度が高かったり低かったりするだけの同じ液体なのだ

いや、そう考えると
「お湯」という単語が無いというより、
「water」という単語が「水」も「お湯」も兼ねているということか
「brother」や「sister」と同じような感じだ

そうなると、睡眠中に見る「夢」と将来の「夢」が、
英語になってもどちらでも「dream」なのは凄く不思議だ
全く違う文化で出来た言語で、そんなところが被ることってあるだろうか

私にとって「彼」という存在が「友達」も「恋人」も兼ねているのと同じか
いや、それは違うか

セミの話


セミが鳴いているが、鳴いていないような気もする
実家にいた頃はうるさくて眠れないほどだった覚えがあるが、
夜は鳴いていなかったような気もする

どこかの国からの留学生が家に泊まりに来たとき、
セミの鳴き声を聞いて
「コンストラクション?……アー、コージ?」と不思議そうにしていた
そんなわけないだろ……と思いながら「インセクト」と私が答えると、
留学生は「オー」と納得していた

「そいつアゼルバイジャンにもイマスカ?」と聞かれたが、
留学生はアゼルバイジャンから来たわけではなかった
どこかは忘れたけど、アゼルバイジャンではなかった
「メイビー、いない」と答えると
悲しそうな顔をされた

「じゃあ原宿?」と聞かれたが、
留学生は原宿から来たわけではなかったし、
原宿にセミがいるかどうかはちょっとわからなかった