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飽きたから

飽きたからです

あの部屋の話

文芸部員は僕と彼女だけだった。
来年には無くなるその部室に、特に話すこともなく、ただ静かに座っていた。

結婚の便りが届いたのは昨日の話。
別に好きだったわけでもないし、特別に仲が良かったわけですらない。
なのに、茶髪になって、眼鏡も外して、夫になるのであろう男性と共に笑っている彼女の写真を見ると、何となく裏切られたような気持ちになった。

高校というのは不思議なもので、小学校や中学校ほどその狭い世界を「全て」とは認識しておらず、けれどそこから逃げるというような発想までは至らない、ふわふわとした逃避願望がずっと住んでいた。
何とも言えないくらいの仲の友達と笑うのに疲れたり、嫌われたくないと思うこと自体が辛くなったり、家に帰ることすら面倒だったりしたとき、僕はその部屋に居たのだ。

彼女はひとつ歳上で、来年には卒業する。この部活自体も、部員が少なすぎるので無くなるそうだ。
寂しいと言われれば何となく寂しいような気もするが、特に何も思わないような気もする。
僕は彼女の何も知らなかったし、彼女も僕の何も知らなかった。
逃げた場所に、ただ、居た。 
よく知らないが彼女もそうだったんだろう。

あの日々は、辛かっただろうか?
辛かったから逃げ出した。じゃあ、逃げ出した先は?
届いた写真に写る彼女は幸せそうだ。
幸せでは無かっただろうな、多分。
彼女にとっては忘れたい黒歴史だろうか?
……そうでなければいいな。

別人のように笑っている。……幸せそうだ。心から良かったと思う。

あの頃の絶望は溶けた。
僕は髪を短くして、毎朝会社に通っている。
彼女は茶髪になって、幸せそうに笑っている。
僕らは普通の人になった。

あの頃のどんな瞬間にだって意味はあったのだろう。
物語然とした人生には出会えなかったけれど、僕らは確かに青春という物語を共作していたんだ。

放課後の部活。吹奏楽の音。
名前もまだ知らない先輩。
眼鏡。本棚。石油ストーブの匂い。
半分まで閉められたカーテン。茶色の膝掛け。
居心地の良い、あの部屋の話。

夜の話

当時TYPE-MOON森博嗣氏に異常なほど傾倒していた俺は、自分自身に「式」という新しい名前を与えて人格を形成していった。
コペルニクス二号。どうしようもない頃の思い出はどうしようもないままで膨らんでしまって、もう元の原形もわからなくなっている。
どうすれば良かった? 未だによくわからない。
そんな小さなコミュニティを世界の全てのように感じてしまっていた。
自分の大切な友達には自分よりも大切な友達がいて、本当に一番の笑顔を俺は正面から見たことがないって、それが本当に辛くて辛くて仕方なかった。本当にそうだったか、もうあんまり思い出せない。
親友と呼べる人間がいたことをもっと誇りに思っても良いはずなのに。
今も大切にしたいはずの人は沢山いるのに、何だかよくわからないままに蔑ろにしてしまっているような気がする。
あの人にだけは心を開くんだねってそんな事はなくて、俺は本当に話したいことばっかり話してしまうだけの人間なんだってたまに自覚してしまって何も話せなくなる、後悔するから。
そろそろ同じ人間だって理解したいな、何処かで間違ってしまっているんだよな。

存在出来る場所の話

存在しない物が確かに存在する場所のことを考えている。

音楽はただの空気の振動で、小説はただの紙に付着したインクの連なりで、アニメは、漫画は、ドラマは、映画は、ゲームは、全てただ存在する「それそのもの」でしか無いだろうか。

そんなことは無い。じゃあ、存在する「それそのもの」以外の物とは何だろう。

存在しない物。非存在は、受け手の心象や感情に左右される観念だと思う。

受け手側の人々それぞれの心に偏在し、それぞれの形があり、それぞれの意味がある、存在の無い存在。音や言葉や文字や映像からは離れた場所で、そこから浮き上がったそれらを俺らは求めている。

物語が物語であるには、音楽が音楽であるには、ただ「それそのもの」を受けて理解・想像・解釈する受け手の助力が必要であるのだ。

だから俺らは受けることから逃げてしまってはいけない。「嫌いだ」「良くない」と真っ先に出てきたとしても、そこから逃げ出してはいけない。

クオリアはどこへ宿るだろうか。

人の魂は。その価値は。

解釈する人が全てを決める。その人なりに、その人なりの好みや解釈があっていい。多種多様な意味があってこそだ。

きっと何処かに感動がある。

その人生すらも変えてしまうほどのそれを、俺らは求めていたいのだ。

エゴの話

好きや嫌いは勿論ある。だとしたら、最も多くの人間の「好き」に入るものが、最も素晴らしく、出来る限りそれに近付けることが必要である。

なんて、そんなわけが無い。

夢も希望も、根も葉も、無い話。
本当にたったそれだけか? ちゃんと自分の頭で考えないといけない。

俺は、それが何であれ、作者の「拘り」が見える作品の方が好きだ。「エゴ」と言ってもいい。
「それが見える作品全てが好きだ」という話ではない。「同じ好きでも、それが見える作品の方が遥かに好きだ」という、度合いの話。
食べやすく咀嚼された料理ばかり食べていたいわけがない。

例え自分にはもう、理解出来ない領域の話だとしても、その凄さは伝わるはずだ。
1844京以上の惑星が登場するゲームや、演奏時間が639年の曲。原始時代を追体験しようとするyoutuberや、ゲームオーバーになる度10時間勉強することにより東大に受かろうとするゲーム実況者。
もうよく分からないけれど、凄いなって思う。めちゃくちゃワクワクする。
ずっとワクワクしていたいのだ。その為にはそれが必要なのだ。

受け手側のことを考えるのも、勿論大事なこと。そりゃあそうなんだけど。
でも、出来れば誰だって好きなことやって評価されたいんだ。だからもう少しだけ好きなことやろう。
それが「最も素晴らしい」と思うのだ。

毎日の話

眠いな、腹が減ったな、と思っていたら一日が終わっているような感じ。
「遠くから見るから富士山は綺麗なのだ」って、登ってもないのによく言うよな。けれど、そんなことばかりだ。

目の前にシャンデリアがあるのだけど、シャンデリアって怖くない?
金田一とかコナンとか、あとマリオRPGとかのせいで刻み込まれたトラウマだと思うんだけど、下にいる人間(または上に乗った亀)を殺すための罠にしか見えない。めちゃめちゃ綺麗だと思うけど、それが余計に怖い。
幕が下りてるから叫び声が聞こえなくて、テープで録音した叫び声を後から流すんだよな……。怖すぎる……。

無意識に怖いものの話。
暗いところや狭いところ、速いもの、黒いもの、とか怖いよな。
先端恐怖症の人。人生において何らかのトラウマがあって、という人もいれば、原因が無い人もいる。
大きな水槽が怖いって人もいる。割れたらどうしようとかじゃ無くて、景色が歪むのが怖いのだと。全然俺にはわからなくてびっくりした。苦しみや恐怖なんて個人の所有物で、本来誰と共有することも叶わないのだな、と思った。

天井を見ているよりは有意義な毎日を過ごせているという実感。
もうすぐ愛はその顔を覗かせる。その日が楽しみで楽しみで仕方が無いのだ。

昔の話

コンピュータというものにのめり込んでしまったのは、小学生の頃だった。
初めてパソコンを触った時は、ペイントソフトでお絵かきをするだけで楽しかった。
それがいつしか、ダイアルアップの遅い回線でインターネットなんかを見るようになった。ピポポピパピピポ。ピーーーーヒョロロロロロー。何だったんだよあの音。

テキストサイトが好きだった。侍魂の記事を読んで転げ回るほど笑った。
親にバレないように深夜にエロ画像を検索したりもした。今みたいに画像もスッと表示されてくれなかったんだ、上の方からジワジワっと表示されていって、全部表示しきるのに五分くらいかかってた。おばちゃんの画像だった。

好きな漫画のファンサイトに行って、ファン同士の交流をしたりするのが流行っていた、ように思う。ネチケットを守ろう、なんて。
そういうサイトには大抵お絵かき掲示板なんてのがあって、みんなそれぞれに描いた絵を見せ合っていたんだ。俺は絵が描けなかったから、色んな人の描いたのをすげーすげー言って見てるだけだったけれど、それはとても楽しかった。

インターネットというものに早い段階で出会ってしまった俺は、とんでもなくひん曲がった奴になった。

色んなことがあった。インターネットチャットにハマった。俺は二重人格という設定でふたつの名前を使い分けていた。
「平穏な日々を望んでいるのに、なぜか厄介なことに巻き込まれてばかりでうんざりしている」というキャラだった。
「こんにちは〜」とか言われても「……ああ、俺に言ってるのか。……気持ちは嬉しいが、俺には関わらない方がいい。面倒なことに巻き込まれたくなければな……」とか言ってた。何の為にチャットしてんだよ。

そこで出会った女の子に恋して、毎日チャットに誘ったりした。楽しかった。その子はネカマだった。

ネットゲームにのめり込んで生活がおかしくなったときもあった。トイレにも行かなかった。ボトラーだった。

まだまだある。書けないようなこともある。
思い出しても恥ずかしくなるような昔のことだけど、何となく楽しかったし、今でもその時の経験は自分の深いところに根付いてしまっているような気がする。
意味がわからんけど、何故か少し誇りに思っているようなところがあるのかもしれない。自分が、マジで痛い奴だったってことに。本当に少しだけ、それで良かったと思う気持ちもあるのだ。

楽しかったからかな。そうだといいな。

最近の話

街灯を後ろへ後ろへと流し続けて、連なるテールランプを追い掛けている。
時間も景色も、「こんなにもか」と思うほど早く流れるけど、どうにか必死に掴まってはいる。と思う。
同い年の友だちがまた一人結婚した。ナルトの息子の漫画が始まった。俺らは進んでいるのだ。

大好きな先輩達を誘って自主企画イベントをやった。東京と、名古屋と、地元奈良。全部チケットが売り切れて、全部最高の日だった。
レコーディングが始まった。奈良でやっていることもあって、これまた大好きな先輩達がみんな見に来てくれたり、手伝ってくれたりしている。レコーディングスタジオは横長の密室、音楽は「モルグ街の殺人」ほどに虎視眈々と芽吹く時を待ってる。愛で出来ている。

あ、最近の話といえば、ポケモンGOはまじですごいな。
大人も子供もみんな昔に戻ったみたいに楽しんでる。奈良公園なんか行ったら、鹿にペロペロされながらポケモン捕まえてる人がいっぱい居たよ。
ゲーム自体も勿論だけど、「みんながみんな同じゲームをしてる」っていう状況が楽しいんよね、ポケモン赤が出たときみたいなんだ。本当に。
その頃俺はまだ小学校に入るよりも前だった。二つ年上の兄の入学式にゲームボーイを持って行って、ずっとポケモンをしていたのを覚えている。思えば、そのときから俺は既に終わってるな。
つまりは「熱狂の共有」、ポケモンだってモンハンだって、それが楽しかったはずだ。

まあ、だから。
色々問題もあるだろうけど、楽しいものは楽しい。すごいものはすごい。
悪いのはいつだってそれを使う人間なので。
楽しめるものは楽しみたいなと、思うのです。

あとは「まあ」ってすぐ言ってしまう癖を治したいね。

まあいいけど。別に。