読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

飽きたから

飽きたからです

人生を擬似体験することの話

「俳優って凄いよな、自分の人生で体験できないことをいくつも体験してて、

何周も人生をしてるみたいで、楽しそう」

 

みたいなことを、最近人から聞いた。

俳優、に関しては全くそんなこと考えたことも無かったんだけれど、小説やゲーム、「物語」のある全てのモノにそれは言えるような気がする。

私は物語がとても好きで、それがどんなに小さなモノであれ、愛したいと思う。

 

物語が終わるとき、なんとなく寂しさを感じたことはあるだろうか。

自分が世界から取り残されてしまうような、そんな感覚。

基本的に物語というものは私達の世界にまで広がりを持つことは無くて、閉幕を迎えればそこで終わる。

先も後も無く、物語は物語として始まり、物語として終わる。

では、それは何にも繋がらない、それだけで独立したものだろうか?

 

私は絶対に違うと思う。

物語に触れるとき、そこには自分の人生や、今までに触れてきた物語が前提として存在していて、それを以って対峙しているはずだ。

逆に言う。自分の人生に触れるとき、今までに触れてきた物語を前提として存在させて、それを以って対峙することも出来るはずだ。

自分の人生ではない人生を疑似体験し、涙することが出来るのだ。

誰かの常識や意志や思い出や感情なんて、これっぽっちも自分の人生に関係のないもののはずなのに、涙することが出来るのだ。

 

小説でも映画でも、漫画でもゲームでも、全ての物語は自分の人生に繋がっている。

アンパンマンから自己犠牲の精神を学び、桃太郎から仲間の大切さや勧善懲悪の心を学び、グリム童話から罪と罰を学んだ私は、

これからも物語から人生を学び続ける。そうありたい。