ニッ記

発露

Kanonと体験の話

ノベルゲームと体験の話

 美少女ゲームというジャンルがありますね。ギャルゲーと言い換えてもいい。アダルトゲームやエロゲ―と同義ではない。僕が大好きなゲームジャンルです。その中でもノベルゲームという、文章を読んでいくタイプのゲームが僕は好きで好きでたまらない。

 

 僕がノベルゲームに初めて触れたのは幼稚園児の頃、スーパーファミコンで発売されていた学校であった怖い話でした。高校生の主人公が所属している新聞部の部員たち6人が語る怖い話を聞いていくというだけのゲームなんですけど、当時はめちゃくちゃ怖かったんですよね。画面が全体的に薄暗くて、怪しいBGMが不安を煽るし、登場人物も実写で妙に気持ち悪かった。当時のゲーム画面の画質の悪さも相まって異様な雰囲気を纏ってたんですよね。

 で、怖い話を聞いていくなかで主人公は選択を迫られることがある。例えば右の道に行くか左の道に行くかみたいなもので、どちらを選んだかで話の流れが変わる。自分の選択によってキャラクターが怖い目に遭ったり、最悪死んでしまうこともある。その選択をするときに、コントローラーのボタンが異様に重くなる。物理的には全く違いがないはずなんですけど、何かを選択するということによって降ってくる責任の重さ。それまでも選択肢のあるゲームというのはプレイしてきたと思うのですが、そのとき初めてその重みを確かに感じたのです。

 これはノベルゲームに限った話ではない。ドラクエ5でどちらのヒロインと結婚するか。Motherで「わすれられたおとこ」に対してどう接するか。Undertaleでモンスターに対して攻撃をするか。そういった選択にはひとつひとつに責任が伴い、その後のゲームプレイ中にも重くのしかかってくる。それを僕は「体験」と呼びたい。もちろんそれだけじゃないですけどね。

 

Kanonの話

 さて、美少女ゲームの話をしましょう。人生初の美少女ゲームKanonでした。当時小学生の僕がアダルトゲームをプレイ出来るわけはなく、携帯電話のアプリでプレイしていました。iアプリだったかな。雪の降る町を舞台に、種々様々な少女との恋愛を楽しむゲーム……なのですが、その最中には残酷な取捨選択を迫られる。今でこそ殆どのノベルゲームに用意されている「トゥルーエンド」というものがなく、全てプレイすることによって得られる大団円のエンディングというものが存在しなかった。だからこそ、誰かを選ぶことは誰かを選ばないことだった。誰かを救うということは、他の誰もを救わないということ。それがとても心苦しく、同時にキャラクターに対しての愛情をより深める一因となっていたんですよね。

 それ以来、僕は美少女ゲームに魅せられ、今に至るまで様々なゲームをプレイしてきました。けれど、Kanonほどに残酷な選択を強いられたことは無い気がする。

 

 Sky[Rain]、Sky[ ] というゲームの中で「4分の1の幸せ」を許容する発言が出てきますが、kanonでは「5分の4の不幸せ」という感じがする。選ばれなかった少女はすべからく不幸になる。それも、持っている命すら失ってしまうほどの。

 だからこそ僕はKanonが好きだし、いつまでたっても自分の原点なのだと思っています。ゲームという世界の中に生きるキャラクター達を愛し、慈しむことを覚えたのはこのゲームのお陰だと思っている。

 

 それはそうと、僕は良いゲームの話をしようとするとその殆どがUndertaleの話に繋がってしまいますね。それくらい良いゲームなんですよ、ゲームというものの良さが最大限に詰まっている。900円やそこらでやれるんだからゲームが好きな人は全員やったほうがいいと思います。僕はSansが本当に好きすぎてGルートのSansのところでボロボロに泣いてしまいました。さよなら。